2009年10月15日木曜日

不登校と社会性

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第三回目うみほどコラム今回のテーマは不登校と社会性です。

非常に気になるテーマだと思います。

不登校になると誰とも話さなくなって社会性が身につかないんじゃないか?

なんてことをよく聞きます。



不登校の子どもを持つ親は一度は悩んだことがあるようなテーマですね。

正直言うと今回のテーマは、すぐ終わっちゃいそうなくらい簡単な話になるのでサクッといきます。


社会性ってなんじゃろな?


私はこの言葉をすべて説明しきれません。

むしろこれが社会性なんです。なんてことを言える人はかなり少ないと思います。

実際それだけぼやっとした物なんです。

親の不安感によるもやっとした、こどもの将来への不安から

社会性が付かないんじゃないか?なんてことになっているのではないでしょか?


でも大勢の中で生活することが社会性だ!とか

きちんと挨拶できることが社会性だ!とか思うかもしれません。


でも大勢の中で生活することがそれだけで偉いことなのでしょうか?

少人数の中で生活すること、大勢の中で生活すること

どちらが素晴らしいとは言えません。


挨拶にしたって誰かれかまわず

たとえば新宿駅とかですれ違う全員に挨拶していたら

挨拶することが良いとされているのに、絶対に白い目でみられてしまうわけです。


そしてうっくんは思うのです。

社会性は押し付けられるものではなく、

必要なものを自分で使っていくものなのではないか?と、考えます。


そんな誰かに押し付けられた価値観なんてものは

子どもからすればこれからどう捉えていくか、不確定な部分が多すぎて

自分の方向を見定めていく時期には、何の役にも立ちません。


そんことより失敗したり、休憩したり、考えたり、できることを肯定してもらったほうが、

よっぽどありがたい。そしてそれが一番ちからになります。


その中から自分が使っていく社会性を培っていくのではないでしょうか?


そんなことを思う秋の雷雨。