2009年12月25日金曜日

第12回「不登校の頃の自分考察と今」パート4

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ハッピーホリデー!!皆さんチキンに浮かれてましたか?うみほどコラムです。


そんなうっくんは23日にフリースペースのクリスマス会をして食べ過ぎ・・・。

おなかが痛くなりブログを書く気力が無くブログを放置・・・。


24日は家で張り切ってご飯を作って、もちろん食べ過ぎ・・・。

おなかが痛くなりブログを書く気力が無くブログを放置・・・。


そんな学習能力がないうっくんがお届けする。うみほどコラムです

最近アクセスも増えてきたんです

これからもちゃんと書くようにするので毎週水曜日深夜はチェックしてくださいね-。

さてさて今回はまとめのパートです。最後になると思いますのでお付き合い下さい。



そんなこんなで
(11回もみてね!)

良い人間だけが、他人を喜ばせたり、楽しい気分にさせたり、する訳じゃないんだ

ということを、気がついてから自分の中で何が変わったか?どこが大きく変化したか?

そんなことを今になって考えてみることにします。

「良い自分。」悪い自分。」この2つが自分の中にあり

不登校真っ最中に思っていた、

≪現在は悪い自分。」であり、「良い自分。」になりたい。≫

この一連の心の動きは、「向上心」とも取れます。

しかし自分の心は「良い自分。」悪い自分。」のどっちが良いというわけではなく

前回のパートで書いているように自分の心は良い面も悪い面も2つで1つである。

ということに気がつきました。

と言うとは、

この「向上心」ってのは無駄なことではないかな?って考えています。

自分であること、が大事なわけであって今の悪い自分。」が駄目なわけではなく

これからの「良い自分。」が良いわけでは無いと言うことです。

ということは?

大切なのは今の自分だけです。

ただそれでけで、オッケーなのです。

そこで評価されるならしてみろ!ってことです。しかもその他人の評価でどうって事もないんです。

「今の自分でいいんだ。」ってことが思えるようになると、

どこかで聞きましたが、生きてるだけで丸儲けなのです。

そんなことで、今まで自分自身で縛られていたモヤッとしたものと、決着をつけたと言うわけです。


誤解しないで読んでほしいのですが、何もすべての向上心を無駄とは言っていません。

ただし、向上心を間違ったとらえ方をすると、そのこと自体に捕らわれ

自分で自分に制約をかけて、動き辛い状況にしているのではないか?と考えます。





さてさてやっと最後の話しになります。なにが残ったって?

今のうっくんが考える心の形ってなんだってことです。今まではコインって言っていましたが

前回の終わりで違う形です。みたいなことを書き残しています。

ここまでの話しをすべてみてくれた方は、少しは想像できているでしょうか?

簡単に言うと球状です。「やっぱりな。」って声が聞こえそうです

球状なのでどこが良くて、どこが悪いなんて境目がないからわかりません。

その物体が重要なのです。



形的にはきれいに丸くなく、ボコボコとしたいびつな形だと思います。

なぜなら得意な事もいっぱいありますが、不得意なこともいっぱいあります。

でもそれでいいんです。

困ったならそこを足せばいいだけな話しです。

いつやったって本当に遅くない。流されずに自分でやろうと思ったときがその時期です。



質感的には、柔らかくあってほしい。ここは願望を入れておきます。

おそらくこれから、もうちょっと年を重ねていくと、固くなってきてしまうのだと思うのですが、

自分で成長している。成長したいと思っている間は、形の変化を伴うため

柔らかい質感でいたいなぁ。と思っています。

変化は成長であり、未来である。

子どもが、何もしてないように見えても、

いろんな事を考えて成長しているし、変化している事を忘れないで下さい。



構造的には二重構造だと思います。

ボコボコしている部分は大人になってから付け足したもので、

さほど大切なものとは考えていません。

しかし球状の心の芯は大切だと考えています。ここが揺らぐことはないです。

ここを子どもの時に、どうやって作っていくかそれが重要だとです。

「すっごい楽しい」「すっごい嬉しかった」が非常に必要で

「すっごい苦しかった」「すっごい辛かった」はあまり必要と感じません。

なぜなら前者は未来が見えるが、後者は未来が見えないからと私は考えます。

後者は過去を支えることは出来ますが、それしかしてくれません。

時間は残酷なもので今から未来へ一方通行です。

前者はこんなに楽しいこと、嬉しいことがあれば未来も嬉しいことがあるだろうと、

過去の自分から、未来の自分へ希望を持たせてもらえます。



そして人の心は弱い。

だけど、それでいいじゃん。

虚勢張らずに、出来ないことは「出来ない。」って言い合えるようにしようよ。

無理してこうなりたい、ああなりたい、無駄な向上心は自分を辛くさせるだけだ。

そして、体だって風邪を引くんだから、

心だっていつも調子がいいわけじゃないんだよ。

良いときだって悪いときだってあるじゃないか。

それでいいじゃん。

むしろそれが普通で、無理して強がらなくていいんじゃないか?

時に弱い心をさらしても、時代は「個」の時代だ、だれも攻撃しないよ。

まあしかしその時に、自分がないと辛いんだろうけどね。



というわけで、最初にこのパートを書こうと思ったきっかけは

このパートだけ書くつもりでいたんです。

でもこれだけ書いて読み返したら、すごい誤解がうまれるなぁ。

と思ったのでなぜそんなことを思うようになったのか?ということで

書くことにしたんですが、いかがでしたでしょうか?

ではではこれからもうみほどコラムよろしくね。